disconstruction of the felicity

8月29日

 黎明より少し前に眠り、昼間に起きる生活を続けた今日も、先週に入れ込んだアルバイトに束縛されている。躁への原罪は重く、将来をそこに委ねてしまったがばかりに、ますます施しようのない人生になった。中途覚醒や寝つきに悩まされる最中、私は文学という形而上的なものへ、砂漠のなかのオアシスへと導かれたのである。そこでのそのそと布団から起き上がっては蒸せる夏を筆に乗せようと、パソコンのキーボードでタイプをし始めたところまでは良かった。しかし、物語の結末が描かれることはいつまでもなかった。

 第一に、私には純文学に向いた人生観や経験を持ち合わせていなかった。犯罪の肯定、無神論、幸福追求の崇拝などを抱いていた私は、確かに今世を頭で捉えようとしていた。だが、第二に、才能という才能がなかった。この女、己の本を避ける気質を理解していながら、衒い気味の美辞麗句を用いたかったのである。読み返すほどに理想とかけ離れた自分の文章は、読み手に情景を想像させることなく、起承転結も置き去りにして何処かに行ってしまった。

 


 筆が進まないほどであるのだから、何が辛いのかと考えていた。私には夢も愛する人もいなかった。それが辛いのではないか。誰を愛することもなく、私は日本語の美しさに振り回され続けていることが辛いのではないか。

 いや、いいのだ。恭子さえ認めてくれれば、愛してくれれば、私は何だっていいのだ。そう、生きねばならない。