disconstruction of the felicity

8月26日

 文章が、書けない。怠惰によって見ることのできなくなった払暁が私を競り立てる。甘い。本が、読めない。言葉は前頭葉の先で空回りする。二進数で表現されたただの信号が、文としてではなくそのまま脳に送られるようだ。

 体たらくでどうしようもない人間の哀れな屈辱よ、このような夜の秒針は自決を連想させないだろうか。背中にまとわりついた不安を拭う。私が大急ぎで書いたことで字体は崩れる。首を吊る。鼓動に合わせた耳鳴りのアンサンブルが、鬼籍へのカウントダウンとなる。

 


 涜そうとするも、浮かぶのは私が今も取り憑かれているダビデ像が落下し崩れていく様のみである。そこでフルメタル・ジャケットの一部を再現する。あの肉付きの良い青年を見よ。笑みが歪んでいる。喉奥に突っ込まれた口径から、恐ろしいほどの速さで弾丸が迫る。私の腰はすっかり燃え上がり、背中まで炎が立ち上った。それでも肉体の感性は失われたままだったようだ。

ダビデ像

 かつて男の裸そのものに興味を示さなかった私を、これほどまでに男体に陶酔させた者がいるだろうか。もはや全てが如才なく完結しており、あの不安定な姿勢や、適度な力を感じさせる筋膜の張り、加えて男の象徴ともいえるそれですら魅力的に思えるのである。神聖であるはずの胸鎖乳突筋を見れば、彼が妖艶を象徴することに気づいてしまうだろう。裸、裸である!男の裸体など興味のない私の心拍が勃ち上がる。きっとこれからも生身の体にこの種の快楽を覚えることはないだろうが、いや、あの死を感じさせる石膏や大理石だからこそ美意識が報われると言うものだ。溜め息が出るほど美しい。男の裸体が夜もすがら脳裏から離れないことなど初めてだ。私はまだ男を愛することができる。

 


Postscript:

 調べているうちに、眼にハート型の窪みがあることを知り、その俗に落ち込んでしまった。

8月8日

しどけない女だ。私はただ安閑と生きていきたいだけなのだが、あどけない少女の顔を脳裏に浮かべてしまう。あまりこれを恋だと認めたくない気持ちもあった。

 


まだ暫定的だが、受験は諦めることにした。勤勉に働き、身をやつして生きていくつもりである。そして私は、病院の費用を自分で工面しなければならなくなった。毎月数万の痛い出費だった。一文無しに等しい私は、精神科に通うことができなくなった。

今日も目に余るような格好で外を出て、涙を溢して、階段から下を眺めた。四階までが鬼籍に入るのに十分な勇気だった。抗うつ薬でもやめてみろ、この調子では精神崩壊も近いだろう。

8月7日

衝動的に、まさに一刹那を生きていた。許されざる大罪を犯し事に及んだ。言い換えれば、私は下戸だった。

ゆめゆめ後悔などなく、そんな私に女を愛する器はなかった。この頭痛はおそらくそれの所為だけではないだろう。様々な断片的な記憶が私の本音を露見させた。とうとう、昨日まで考えていた女の顔を忘れた。それなのに私だけがいまだに不能だ!もはや自分のことしか考えていない、なんて卑屈で身勝手な女だ。

8月6日

空は青い癖に雨が降っていた。お前まで私の中途半端な心境を真似しなくても良いのにと思った。至る所から生乾きの匂いがした。

路上ライブを見て立ち止まった。まだ演奏が始まる前の、Fenderのギターを慣れた手つきでかき鳴らす様や、細身の体にカジュアルな黒の服とパーマの組み合わせが青年の刹那を象徴していた。歌や演奏は素人にもわかるほどに達者だったが、私以外に観客はおらず多少の悲しさを覚えた。彼は私に声をかけた。

「なぜ見てくれたんですか」

私はあなたの生命力に惹きつけられました、とは言わなかった。蝉が鳴いた。今を生きる彼と必死に声を張る生き物の姿が重なって、現実の不条理に嫌気がさした。私は生きなければならない。